喜多院Category : 埼玉
小江戸川越、行ってみたいとは思うものの、近くて遠い…という印象だったのですが、横浜から乗り換えなしで行けるようになったため、念願の川越へ行ってきました! 東武バスのフリー乗車券、一日たったの300円。 良心的なお値段で大助かりです^^ まずは、川越大師の喜多院にやってきました。 平安時代の天長7年(830年)、淳和天皇の勅により慈覚大師が建立し、当初は無量寿寺と名付けられ、その後、関東天台宗の本山となり寺勢を振るいました。 無量寿寺は仏蔵院(北院)、仏地院(中院)、多門院(南院)の三院がありましたが、天海僧正が第27世住職として入寺すると、北院は喜多院と改められました。 兵火で度々焼失した無量寿寺の堂宇ですが、寛永15年(1638年)の川越大火では焼失を免れた山門。 もとは、後奈良天皇の星野山(現在の山号)の勅額を掲げていたそうです。 寛永9年(1632年)に天海僧正によって建立され、喜多院では現存する最古の建物となります。 慈恵堂は、桁行9間、梁間6間の入母屋造り。 比叡山延暦寺第18代座主の、慈恵大師良源(元三大師)を祀っています。 寛永16年(1639年)に、焼失した堂宇の中でいち早く再建されました。 慈恵堂は別名潮音殿とも呼ばれています。 その昔、広くて静かなお堂の中で耳を澄ませていると、潮の満ち引きのような音が聞こえてきたのだとか。 え、それって自分の血流音なのでは…?と、ロマンの欠片もない考えをしてしまうワタクシなのでした^^; 慈恵堂の三花懸魚。 境内にある苦ぬき地蔵。 御利益がありますように…。 総高13mの多宝塔は、寛永16年(1639年)に再建されたものです。 当時は、山門と日枝神社との間にあった古墳の上に建てられていましたが、昭和43年(1968年)に現在の場所に移築されました。 上層の屋根の下の組物がとってもキレイ。 丘の上に佇む慈眼堂。 慈眼大師天海を祀っているお堂です。 寺院にはよくある鐘楼ですが、こちらは袴腰に扉が付いた鐘楼門。 鐘楼門って初めて見たかも。 こちらは裏側。 鷹の彫刻がされています。 ちょっとピンボケ 可愛い鬼瓦 蕪懸魚のヒレも美しく装飾された彫り物です。 こちらが表側。 表側には龍が彫られています。 立派な彫り物に感心していたのですが、実はこの鐘楼門は、寛永10年(1633年)に東照宮の門として建立されたものなのだそうです。 納得! 当時東照宮は、鐘楼門のすぐ後ろにある慈眼堂の場所に建立されていたそうです。 鐘楼門は再建された記録がないことから、川越大火の焼失から免れている可能性があるのだとか。 喜多院の境内にある五百羅漢。 日本三大羅漢の一つなのだそうです。 538体ある石仏は、天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の間に建立されたものなのだとか。 一人ひとり表情が違って、見ていて飽きないです。 こちらは、足を揉まれているの? 気持ちよさそう。 揉んでいる方の石仏の表情もユーモラス^^ 内緒話? 聖者の姿と言うよりも、とても人間味溢れた表情。 なんだか愛おしくなってしまいます。 こちらは多分、十大弟子か十六羅漢の像。 石仏なのに、なんて柔らかな表情! ワタクシもこんな優し気なお貌になれるようになりたいなぁ。 境内には、江戸城の紅葉山御殿が移築されています。 川越大火の後、徳川家光の命による復興の一環として、客殿、書院、庫裏に当てられました。 入口のある庫裏。 無骨な梁がカッコイイ。 客殿には徳川家光誕生の間、書院には春日局化粧の間などがあり、それぞれ見学ができます。 部屋は写真撮影禁止なので、庭園の風景など。 客殿と慈恵堂を繋ぐ渡り廊下。 太鼓橋のように若干勾配がついているのが面白いです。 滑り止めが付いていますが、大勢の人が歩くため木目が磨かれていてツルツルします。 庫裏の一部。 向こう側の庭園が垣間見えました。 |
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